書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『真珠湾の冬』ジェイムズ・ケストレル|読みやすい歴史ロマン大作

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真珠湾の冬』ジェイムズ・ケストレル 山中朝晶/訳

早川書房[ハヤカワポケットミステリー] 2023.1.9読了

 

ケミスは手にして読んでいるだけでもやっぱりワクワクする。でも文庫に比べて高価だから、よほど好きな作家以外はチェックしていない。この作品も著者も知らなかったのに手にしたのは、真珠湾、つまり真珠湾攻撃で日本が関わっているから日本人であれば読むべきかなと思ったのだ。登場人物紹介にも日本人の名前がちらほら。そして、何よりもエドガー賞アメリカの文学賞で、優れたミステリ作品に授与される)を受賞しているのがポイントだ。

 

ワイ・オアフ島での惨殺事件から幕を開ける。担当の任に就いたホノルル警察警部のマグレディは、ある手がかりを追うため香港に向かう。そこで日本軍による真珠湾攻撃が始まり、マグレディも戦下に巻き込まれてしまうのだー。

わゆる王道の警察小説で始まるのだが、中盤からはそれを忘れてしまうほどの歴史ロマン大作になった。ホノルルに残したマグレディの恋人モリーとの関係、同僚で相棒のボール(結構好きなキャラクターだ)はどうなってしまうのか、そもそもの惨殺事件の犯人のことよりも、ロマンスのほうが気になってしまった。

音放送を、日本の小説以外で私が目にしたのは初めてかもしれない。そもそもアメリカ人がこの戦争を書くのなら、日本にあまり良くないイメージで書かれているかもと覚悟していたのだが、そんなことはなかった。おそらく著者のケストレル氏は、事実は事実として受け止めながら、日本のこと、日本人のことを大切に思っている。

 

んでみて感じたのは、早川書房で刊行される海外のミステリー、サスペンスの中ではかなり読みやすいということ。それもやはり馴染み深い日本の地名や日本語の名前がたびたび登場することも大きいだろう。スケールが大きく、サスペンスとロマン要素がうまく融合しているため、老若男女問わず楽しめる作品なのは間違いない。

『私の家』青山七恵|自分にとっての家とは

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『私の家』青山七恵

集英社集英社文庫] 2023.1.7読了

 

内のお葬式の場面から物語は始まる。普通の生活をしていると滅多に会わない間柄だとしても、こういった席では顔を合わせ意識をする。血の繋がりとは結構不思議なものだ。鏑木家の三代に渡る「家」にスポットを当てた物語である。物理的なひとつの建物というだけではなく、自分の拠り所となる家という意味も含まれる。

の作品に登場するどの家も、「玄関」が「沓脱ぎ」と表現されていて印象に残った。これだけで最新のマンションではなく古くからある日本の戸建家屋を想像する。

は幼い頃から転勤を繰り返していたし、大人になってからの一人暮らしでも現在の家族でも、住む家は何度か変わっている。現在進行形で住んでいる家が今の「私の家」である。自分が生まれ育った家が、何十年も、はては死ぬまで長く残っていることは稀であろう。田舎であれば珍しいわけでもないかもしれないが、もしそんな家があれば(そういう人がいれば)羨ましく思う。より家に対する愛着とそこにあるだけで安心する何かが確実にあるんだと思う。

人かの視点で繰り広げられる連作短編のような形になっている。家族であっても実は相手のことはわかっていないというか、結局全てをわかりようがないんだと感じた。それでもいいと思えるのが家族なんだろう。

章の終わり方がなんとなくすっきりせず、「あれ、こんな感じで終わっちゃうの?」という感覚になることが何度かあった。青山七恵さんの小説は『めぐり糸』しか読んだことがない。粘着質な語り口が女性の生き様に現れてなかなかおもしろかった。『めぐり糸』に比べると劣ってしまうが、なんの変哲もない日常を切り取る小説というのはなかなか難しいのだと改めて感じた。

と思ったのだが、こういう「家」をテーマにした年代記の物語って、女性作家が書くことが多いような気がする。角田光代著『ツリーハウス』、桜庭一樹著『赤朽葉家の伝説』、山崎豊子著『女系家族』などが思い浮かぶ。それだけ家庭における役割みたいなのが女性には根付いているからなのか。もちろん男性作家が書いた年代記も読んでいないだけで存在はするだろうから、今度意識して選んでみようかな。

『彼岸の花嫁』ヤンシィー・チュウ|霊婚、または中国社会独自の文化や習わし

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『彼岸の花嫁』ヤンシィー・チュウ 圷香織/訳

東京創元社創元推理文庫] 2023.1.7読了

 

レーシアにある街、マラッカが出てきた!マレーシアは7〜8年前に旅行で訪れて、都市と田舎が合体したような雰囲気と、安価で美味しい料理、多様な文化の融合、なんとも言えない落ち着きがあり、居心地が良くて肌に合う国だった。

プショナルツアーで港町・マラッカにも行った。まだまだ発展途上で、トイレの水洗もあまりよくはなかったし街も雑然としていたけど、溢れる自然とオレンジ色の建物が織りなす景色が魅力的だった。両国行ってみた結果、人気のあるシンガポールよりも私はマレーシアの方が好きだ。

の『彼岸の花嫁』はマラヤ(独立前のマレーシア)が舞台となる。マレーシアの物語なんて初めてだったから、新鮮な気分で、また旅行のとこを思い出しながら主人公リーランと共に楽しく読めた。

霊と結婚するなんていかにも「異世界ファンタジー」感満載で普段はあまり手をつけないのだけれど、期待していなかったこともありなかなかおもしろかった。「死後の世界」や「冥の原」、あげくには「ヒトガタ」なる紙でできた召使いのようなものが出てきたり。入り組んだ仕組みながらもしっかりと話がうまく繋がっている。

者のあとがきによると、冥婚(霊との結婚、あるいは霊同士の結婚の民族文化)は、鎮魂や祟りを避ける目的で行われ、祖先崇拝の考えが元になっているらしい。中国文学にも出てくるが、本土以外の東南アジアや台湾に多いそうだ。他にも目新しい中国文学独自の習わしや文化があり、興味深い。最近中国文学を読んでいないので、今年は多く読もうかな。

婚適齢期の若い女性が主人公の恋愛ファンタジーなのに、奥行きがあり大人でものめり込んでしまう。単純に物語世界を楽しめ、ファンタジーならではの没頭する感覚を味わえる。ちょっと少女漫画風ではあるかもしれない。Netflixでドラマ配信もあったようで、映像にするとどんな風に仕上がっているのかも興味深い。

『ネイティヴ・サン アメリカの息子』リチャード・ライト|生きているという感覚、わかりあいたいという願い

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ネイティヴ・サン アメリカの息子』リチャード・ライト 上岡伸雄/訳 ★★★

新潮社[新潮文庫] 2023.1.3読了

 

年早々、とんでもない小説を読んでしまった。この作品は『アメリカの息子』というタイトルで早川文庫から刊行されていたが、絶版のため手に入れるのが困難とされていた。twitterでこの作品に対するコメントを何度か読んでめちゃめちゃ気になっていた。これがなんと新潮文庫で新訳で刊行されるとは!嬉しすぎて早速読み耽った。

メリカのスラム街の日常場面からもう刺激的である。日本人でいると、白人だとか黒人だとかの人種差別が自分とは遠いことでなかなか想像しにくい。黒人というだけで銃乱射されるアメリカの事件が報道されるたびに漠然とした恐怖を覚え、差別問題は人々の心の中に現代もなお続いているのだと感じる。私がこのような差別問題を詳細に意識の中に呼び起こすのは文学からである。

フリカ系アメリカ人で貧しい生活を送る黒人青年ビッガーは、白人の大富豪宅で運転手として雇われることになった。そこで偶発的に娘のメアリーを殺してしまう。ここからビッガーの逃走劇が始まり彼の運命が大きく変わっていく。

 

(以下、物語の内容に多少触れるのでご注意ください。でも、小説を読む前に内容を知っても作品の良さが損なわれることがないと確信しています。)

 

の小説は大きく三部にわかれている。殺人に至るまでが書かれる「恐怖」、逃走と警察による追跡が書かれる「逃亡」、そして最後が彼に審判をくだす裁判シーンの「運命」である。サスペンスフルな展開に目が離せなくなり、最初から最後までずっとおもしろかった。雰囲気としてはトルーマン・カポーティ著『冷血』に近いかも。

 

アリーを殺してしまう場面では、息詰まる緊張感にハラハラした。ビッガーの殺人に至る心理が細かく描写されており、人間の極限状態を考えてしまった。恐怖をあおるのは、メアリーの母親の存在も大きい。目が見えない彼女はまるで幽霊のようで、視覚がないからこそ気配を感じやすい。だからビッガ―も怯える。 

方で、殺人を犯した翌日に見る景色がこんなにも変わるとは。家族は目が見えていない(物理的にではなく真実を見ていない)し、友人に対する優越感も高まり、ビッガーに新しい感情が生まれる。恐怖心がなくなり意識が高まる様、これは後に明かされるが、ビッガーが生まれて初めて感じる「生きている」感覚なのだった。

 

ッガーが捕らわれた後、面会にきたジャンの突飛な言葉に私も驚いた。自分に罪をなすりつけようとされたのに、怒りこそすれ、ジャンは救いの手を差し伸べようとするのだ。そして共産主義者である弁護士マックスを紹介する。

 

ッガーは自分がどう殺したのかを言わないのは、話したくないからではない。話すには、自分の全人生を説明しないといけなくなるからであった。殺人を犯す前から既に有罪だと感じるこの心情に、胸が潰されそうになった。

罪を認めるのと同時に、人生にずっと付きまとっていた憎悪がどのようなものか示せると思えたなら、彼は喜んで罪を認めただろう。その深い、息を詰まらせるほどの憎悪は、抱きたくて抱いたものではなく、抱かずにいられなかったものだ。どうやってそれを示せるだろう?語ろうとする衝動は、殺そうという切羽つまった思いと同じくらい深かった。(555頁)

ッガーがこうなってしまったのは、彼自身のせいだけではない。黒人であるがためにそうさせた社会が悪い。つまり、育ちや貧困、それに伴い教育をきちんと受けられないことやマスコミによる庶民への洗脳。弁護士マックスはそれを盾にして戦い続ける。彼の弁論シーンは胸を打つ。明らかにビッガーの行為は残虐で恐ろしい。捕まらなくては、死刑にしなくては、犠牲者が増えるだけだとわかっているのに、心のどこかでは逃げてほしいと、復讐してほしいと、生きていてほしいと思う自分がいる。

ストシーンでは自然と涙が止まらなくなった。自分の伝えたいことをうまくマックスに伝えられないビッガーに手を差し伸べたくなる。悔しいのと、苦しいのと、恐ろしさと、悲しみと、もういろんな感情がごちゃまぜになってしまった。

んなにも人の心を強くゆさぶる作品が長く絶版状態にあったとは、本当に不思議である。読んでしばらくは放心状態になった。新年明けて初めての読了本がこの作品になり、今年も素晴らしい読書体験ができそうだとおのずと期待が高まる。こんな小さなもの(文庫本)からこんなにも大きな感動が生まれるとは、文学の力は凄まじいと改めて感じた。早くも今年のベスト10にランキング入りする予感だ。

2022年に読んだ本の中からおすすめ10作品を紹介する

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2022.06 村上春樹ライブラリーにて)

 

1年が経つのは本当に早い…。年々そう感じるのだけれど、ブログを始めてからはなおのことそう思う。毎日ではないけれど、読んだ本の感想やらあれこれを日記のように文章にして残していると、たまに振り返ったときに、この本この間読んだつもりがもう2年前だったのか、などなどついつい読書感傷(私が作った造語)に浸ってしまう。読んだ本で歳月を図るという、読書好きあるある。

 

今年もやるかどうしようか迷ったのだけれど、せっかくなので。昨年2022年に私が読んだ本のなかからおすすめ10作品をここに紹介。読んだ作品は169作品(紙の本の冊数は181冊)。一昨年より少し少なめか。昨年同様、私が読んだ本を「独断と偏見」によって10作をピックアップした。ランキング形式ではなく、読んだ順に載せる。読む本に迷っている方、最近良い本に出会えていないなと感じる方に、是非参考にしてほしい。

 

 

1作目

『女には向かない職業』P・D・ジェイムズ

読んだときには「おもしろい!」ともちろん感じてはいたが、正直なところベスト10に入れるほどとは思わなかった。でも、私がP・D・ジェイムズさんの作品を初めて読み、その英国ミステリの濃厚な世界観にどっぷりとはまり、今年だけで彼女の作品を5作読むきっかけになった記念すべき小説なので、迷った挙句堂々とランク入りさせた。何故かコーデリアのシリ―ズはこれと『皮膚の下の頭蓋骨』の2作で終了という残念極まりないのだけど、ダルグリッシュ警視ものよりも私は好きだなぁ。

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2作目

『人間の絆』『人間のしがらみ』サマセット・モーム

もともと過去に読んだことがあり再読だったわけだけど、この長編を訳を変えて今年だけで2回も読んだという、それだけで愛すべき作品だということがわかっていただけるだろう。金原瑞人さん訳も、河合祥一郎さん訳も、どちらも良い。死ぬまでにあと2〜3回は読むだろう。かけがえのない人生を味わい深くするために。

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3作目

『緑の天幕』リュドミラ・ウリツカヤ

現代ロシア作家の1人。ノーベル文学賞はアニー・エルノーさんが受賞された(彼女の作品も良かった)が、読書界隈では受賞候補に挙がっていたウリツカヤさん。今もなお続いているウクライナとロシアの戦禍の影響もあるが、最近ロシア関連の作品はよく売れている。現代ロシア作家のなかでは群を抜いており濃厚な物語世界を存分に味わえる。

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4作目

『象の旅』ジョゼ・サラマーゴ

おもしろいというよりも大好きな作品。そばに置いてあるだけで心温まる、装幀も素敵な象さんと象使いのお話。横浜市内にこの本と同名の書店がつい最近できたようで、まだ行けてないけど早く訪れたい。選書とか絶対気に入るはず。

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5作目

八甲田山死の彷徨』新田次郎

やっと出てきましたね、日本人作家の本。といってもこれが出版されたのは1971年とかなり古い。読むきっかけとなった、ふいに流れてきた万城目学さんのツイートに感謝しかない。本屋大賞発掘部門の『破船』(吉村昭著)とどちらを入れるか迷ったが、「リーダーシップとは何か」など経営の指南書としても優れていると感じてこれを選んだ。

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6作目

『無垢の博物館』オルハン・パムク

美しすぎて悶絶、発狂。読んでいる間はもちろんのこと、読み終えたあともしばらく放心状態が続き、他の本を読みたくなかった。パムクさんの新刊『ペストの夜』も既にストックしている。読まれるのを着々と待っているようだけど、なんだか勿体無くてまだ手をつけられていない。

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7作目

『水平線』滝口悠生

去年も滝口悠生さんの作品をランク入りさせていた。もう、語りの美学が溢れ出ている。日本の現代作家で5本の指に入るほど好みだ。ずっと読み続けたい心地よさがある。私のなかでは堀江敏幸さんのような感じ。あと同じ滝口さんの本で、同じく去年読んだ『高架線』という作品も良かった。

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8作目

『地図と拳』小川哲

ナウで売れている『君のクイズ』よりも断然こっちのほうがいい。歴史的な要素も多いから、なんとなく男性のほうが好みそうな作品である。分厚い単行本だけど、出てくる人たちみんなが漢らしくカッコよくて惚れ惚れする。

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9作目

『自転しながら公転する』山本文緒

山本文緒さんの本は何年も前にハマっていた。『群青の夜の羽根毛布』を初めて読み彼女の作品に心を鷲掴みにされ、若い時分だったので恋愛ものを中心に読んでいた。この作品は、あの名作『恋愛中毒』と同じくらい好きな作品だ。平易な文章で書かれているのに、心に響くものは大きい。山本さんの新刊を読むことは叶わないが、彼女の作品は今後も読み継がれることは間違いない。

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10作目

統合失調症の一族 遺伝か、環境か』ロバート・コルカ―

小説ではない本で唯一ランクインしたのがこちらの作品だ。めちゃめちゃおもしろかった。こんな家族が実在するなんて、事実は小説よりも奇なりとはまさにこのこと。早川書房さんは小説もノンフィクションもめちゃめちゃ頑張っている。今年も新刊から目が離せない。

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2022年の読書もとても充実したものとなった。本を開かない日はないほど、私にとっては食事・睡眠と一緒で生きる上で欠かせないもの。ただただ読書が好きなんだから仕方ない。でも、こんなにも手軽に自由に幸せを感じられるなんて、読書好きで本当に良かった。

安定のアガサ・クリスティー作品、ホリー・ジャクソン著『自由研究には向かない殺人』シリーズ、M・W・クレイヴンのワシントン・ポーシリーズも楽しかった。年々、海外小説に傾倒していっている気がするなぁ。昭和の日本文学も大好きなのだけど、あまり読む機会がなかった。

再読欲求が最近高まっている。素晴らしい本は、一度読んだ時に「また読むだろう」と予想できるのだが、そこまで感銘を受けなかった本でも、数年経つと不思議とまた読んでみたくなることがあるのが不思議である。

今年も皆さまにとって素晴らしい読書ができますように。世に、書に耽る猿たちが増えますように。

 

去年の分はこちら↓

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『罪の壁』ウィンストン・グレアム|謎の人物を追い続ける|今年も素晴らしい読書ができますように

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『罪の壁』ウィンストン・グレアム 三角和代/訳

新潮社[新潮文庫] 2022.12.30読了

 

潮文庫で「海外の名作発掘シリーズ」なるものがあって、昨年12月に刊行されたのがこの作品。前に読んだポール・オースターがポール・ベンジャミン名義で刊行した『スクイズ・プレー』もこの発掘シリーズだったようだ。

て、この『罪の壁』は、1955年に記念すべき第1回のゴールド・ダガー賞(当時は前身のCWA賞の呼び名)を受賞した作品らしい。ちなみに、最近のゴールド・ダガー賞受賞作は、2020年はマイケル・ロボサム著『天使と嘘』、2019年はM・W・クレイヴン著『ストーンサークルの殺人』、遡るとそうそうたる作家が名を連ねている。これだけで期待せずにはいられない。

家の夢破れ、航空機会社で働くフィリップ・ターナーの元に、兄のグレヴィルが自殺したという知らせが届く。出張先のカリフォルニアからイギリスに急いで帰国したフィリップは、兄の死に方だけでなく謎の女性レオニーや同行者のバッキンガムの行方を知るためにグレヴィルが運河に身を投げたオランダに向かう。

を探すという行為、それも謎の人物を追うということから、ウィリアム・アイリッシュ著『幻の女』を連想する。なんとなく、立ち昇る雰囲気も似ているような気がする。誰が何を隠しどんな目的があったのか。探偵でもないフィリップが、さかんに嗅ぎ回る様が読者をも前のめりに興奮させる。

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代のゴールド・ダガー賞受賞作品に比べると、サスペンス、ミステリーというよりも、ロマン要素が強く感じられる小説だった。70年近く前の作品なので確かに古めかしさやお決まりの展開はあるが、当時は真新しかったのだろう。もっと古い作品も古典としてなお読み継がれているので、編集担当者には今後も埋もれた名作の復刊をよろしく頼みたい。

訳ものということを感じさせないほど流暢な訳文だった。この作品には格調高さを求めているわけではないから、スムーズな日本語訳がベスト。気になっている『名探偵と海の悪魔』が三角和代さん訳のようだから、読んでみようかな。年明けの投稿となったがこの作品までが昨年読了した作品である。自分自身も、これを読んでくださる皆さまにも、今年も素晴らしい読書体験ができますように。

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『ブラックサマーの殺人』M・W・クレイヴン|ポー、大変なことになった

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『ブラックサマーの殺人』M・W・クレイヴン 東野さやか/訳

早川書房[早川文庫] 2022.12.29読了

 

シントン・ポーシリーズの第2作である。先月『ストーンサークルの殺人』を読み、とてもおもしろかったからあまり時間をかけずに続編を。イモレーション・マンのことにも触れられているし、前回の事件からわずか1ヶ月後の設定である。今の小説って、最初から読まないと結構辛いものがあるかも。昔のシリーズものは一話完結型でどれを取り出して読んでもOKなイメージがあるんだけど。

 

「ポー、大変なことになった」

誰かから電話がかかってくるたびに、ポーはこのセリフを聞くことになる。何度も、何度も。

 

ーが6年前に関わった事件で新たな展開があった。娘エリザベスを殺害し死体を隠匿させた罪で服役していたジャレド・キートンだったが、今となってエリザベスが生きた姿で現れた。DNA鑑定でも本人に間違いない。ポーは、無実の男を有罪判決にしてしまったかもしれない。窮地に立たされるポー。

才カリスマシェフ、ジャレド・キートンは、三ツ星レストランの経営者だ。サイコパスである彼は本当に無罪なのか?キートンとポーの勝負の行方はどうなるのかー。息詰まる展開でハラハラしっぱなし、とても読み応えのあるミステリーだった。

棒のブラッドショーが登場する場面は「待ってました!」とわくわくする。こんなにも小説で待ち遠しいキャラクターって珍しい。また、病理学者のエステル・ドイルもまた魅力的だ。死体安置室で、死んだ老女の足にペディキュアを塗ったり、平然と血を抜いたりと感情を一切見せない姿。もしかしたらポーは、フリン警部よりもエステルとどうにかなるのかな。

転三転するおもしろさが病みつきになる。今回の作品は暴風雨ウェンディが良い味を出していた。事件を解決するまでの2週間あまり、ポーもまた天気を気にし、クライマックスではしっかりと雨が降りしきる。作中で「二重思考」を試みるポーは、好きな小説としてジョージ・オーウェル著『一九八四年』を挙げていた。また読みたくなるよなぁ。

年、ハヤカワ文庫でこのシリーズの作品が一番売れたというのも頷ける。終わり方もまた続編に繋がる期待感いっぱいで、次の『キュレーターの殺人』も早めに読まなくては。

内最後の投稿となります。私のつたない読書ブログにお越しいただきありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。世に、書に耽る猿たちが増えますように。

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『君のクイズ』小川哲|多くの読者を獲得しているはず

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『君のクイズ』小川哲

朝日新聞出版 2022.12.26読了

 

ディアに取り上げられたり色々なところで紹介されているから、小川哲さん史上一番売れているのではないか。こんなに宣伝しなくても、小川さんの作品なら読むのに!って思う。『ゲームの王国』で心を鷲掴みにされて、読む本はどれも当たりでおもしろいのだ。なんせ、彼の思考回路は天才過ぎる。

もテレビのクイズ番組が好きなクチだった。出演者が芸能人であるものよりも、一般人が出るような番組が良い。モノマネでもなんでも、プロよりも一般の人がやるほうが、事前知識がない分絶対におもしろい。一般人はメディアに慣れてないのも良い。今は圧倒的にテレビよりもYouTubeの時代だけど、それもこの「一般人に近い人ならではのおもしろみ」が影響している。

 

レビの新番組『Q-1グランプリ』の最終問題で、本庄絆(ほんじょうきずな)は問題文が一文字も読まれていない早押しクイズに正答した。何故かー。ヤラセなのか魔法を使ったのか。あるいは、何か正当な根拠があって答えを導き出せたのか。同じくクイズプレイヤーである僕、こと三島玲央(みしまれお)はこのクイズに挑む。

イズは知識がたくさんあれば解けるわけではない。もちろん前提としてふんだんな知識が求められるが、クイズ番組では早押しの極意、わかりそうなタイミングでボタンを押す、そして先手を読み、ある種の恥ずかしさを捨てて果敢に挑むことが大事だ。この作品、どんな結末になるのかと先が気になり、ミステリというよりもゲーム間隔で読み進める感覚だった。

までの小川さんの作品の中ではダントツに読みやすい。1日で、いや、ものの1時間かそこらで読めると思う。私はいつもの小川さんの蘊蓄たらしいまどろっこしさが好きだし、読んでる最中にもっと知的興奮を感じたい。とはいえ、このスリルと普通の人にはない着眼点でまたしても新しい小川哲ワールドを見せてくれたことに、さすがだなと思わずにいられない。エンタメ性に優れたこの作品は、多くの読者を獲得しているに違いない。

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『ここはとても速い川』井戸川射子|文体から立ち昇るもの悲しさ

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『ここはとても速い川』井戸川射子 ★

講談社講談社文庫] 2022.12.25読了

 

戸川射子さんは、小説家というよりも詩人として紹介されることが多い。その彼女が、この作品で選考委員満場一致で第43回野間文芸新人賞を受賞したということで、単行本刊行時から気になっていた。それにしても文庫になるのが早すぎでは?単行本は去年の5月に刊行されたから、2年と経たずに文庫化されたことになる。先日井戸川さんの新しい作品『この世の喜びよ』が芥川賞候補に選ばれたことも関係しているのだろう。

童養護施設に暮らす小学校5年生の集(しゅう)が日常をただ語り尽くす。透き通った繊細な感性が眩しく、しかし時折り鋼のように突き刺さる真意が忘れかけていた少年少女時代を思い起こす。養護施設に暮らす彼らにとっては、「家族」という存在は隠されている。テレビドラマでもその類のものは見られない(察知して職員が消すなりしてしまう)。家族といってもいろんな形があって、家族全てが団欒なわけじゃないのに。

阪弁であけすけに喋る文章は、川上未映子さんを彷彿とさせる。改行がない文体は一見読みにくいように思わせるが、なぜかリズム良く心地よく読み進められる。これが才能なのか。

族がいない集は、年下のひじりといつも一緒。もう家族みたいなもの。しかし、心の病を患っていたひじりの父親の具合が良くなり、ひじりは父と暮らすために施設からいなくなってしまう。ひじりがいなくなってから、集は1人で川に向かう。

後ろからひじりが付いてきてるわけちゃうから、足もとの安全もよう確かめんと進む(80頁)

つも2人で一緒だったのに、集はどんな気持ちだろう。弱音を吐いたり哀しみを表してはいない。それなのに、文体からひしひしと伝わる集の哀愁と複雑な感情に胸が熱くなり、最後のセンテンスは二度読みしてしまった。タイトルを初めて見たときは一体どんな作品なんだろうと不思議に思っていたが、読み終えるとこんなにもぴったりなタイトルはないなと思えた。

う一作収められている中編が『膨張』である。住所を持たずに色々なところを転々とする「アドレスホッパー」たちの生き様が書かれた作品で、これもおもしろく読めた。なんか、井戸川さん、芥川賞取ってまうんちゃうかな。とりあえず『この世の喜びよ』読みたいわ。

『タール・ベイビー』トニ・モリスン|同じ人種でも価値観がこうも異なるとは

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『タール・ベイビー』トニ・モリスン 藤本和子/訳

早川書房[ハヤカワepi文庫] 2022.12.24読了

 

るで2章分くらいカットされたものを途中から読んでいるのかと思うほど、最初の方は誰と誰の会話なのか、何をしているのか、彼らの関係性はどうなってるのかがわかりにくかった。あぁ、トニ・モリスンさんの小説はそうだ、過去に『ソロモンの歌』を読んだ時にもこのような感覚になったのを思い出した。初めのうちは忍耐強く頁を進めるしかない。

船して島に泳ぎ着いたサンは、ある屋敷に潜り込み、食べ物を漁り数日間寝泊まりしていた。ここでサンはジャディーンと出逢う。ジャディーンは白人の元で育った黒人女性、サンは黒人の中でのびのびと育った黒人男性だ。お互いに惹かれ合う2人。特にジャディーンはサンの人間本来の美しさに気付く。ジャディーンの今までの暮らしは、まるで人間性を我慢し息を潜めて暮らしているかのよう。

じ黒人でありながらも、文化や価値観の違いがこんなにもあるとは。育った環境により大きく異なるのだと改めて感じ入った。私はこれは恋愛小説ではないように思う。息苦しさや苦しさが随所に感じられた。大人のためのビターな文学である。サンとジャディーンの関係だけでなく、周りの人々の繋がりもまた深い余韻を残す。

話だけで埋め尽くされた頁が何度かあるのは、原文通りなのだろうか。おしなべて言えるのは、モリスンさんの書くものはやはり難儀だということ。特に、地の文が前後の文章と繋がりがないように思うものが多い。私自身が読み解けるほどの力量がないのもあるが。

者の藤本和子さんは、著者本人と会うことをモットーにしており、本人から直接感じるオーラと雰囲気も作品に閉じ込めたいらしい。藤本さんが書いたエッセイを1冊手に入れているので、近いうちに読むつもりだ。