書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

2023-01-01から1年間の記事一覧

『三の隣は五号室』長嶋有|人はただ生きているだけでも感動や共感を呼び起こす

『三の隣は五号室』長嶋有 中央公論新社[中公文庫] 2023.7.6読了 第一藤岡荘という古いアパートに住んだ多くの人々がいる。連作短篇集とはちょっと違って、部屋にあるもの(というか生活に欠かせないけれど脇役である何か)がバトンをつないでいくような感…

『時々、慈父になる。』島田雅彦|ミロクくんと一緒にお父さんも成長する

『時々、慈父になる。』島田雅彦 集英社 2023.7.5読了 3年ほど前に島田雅彦さんの自伝的小説『君が異端だった頃』を読んだ。自身のことを「君」として、いささか(というかかなり)自己愛・自信に満ちた語りが島田さんらしかった。今回の自伝的小説は一人息…

『無垢の時代』イーディス・ウォートン|人生において自由をどこまで追求するか

『無垢の時代』イーディス・ウォートン 河島弘美/訳 岩波書店[岩波文庫] 2023.7.3読了 アメリカの資本主義が急速な発達を遂げた1870年代、ニューヨークに新興富裕層が台頭し、新しい波が古い世界に押し寄せた、変化する時代の物語である。もともと新潮文…

『辮髪のシャーロック・ホームズ 神探福邇の事件簿』莫理斯|中国の歴史や文化、故事成語が興味深い

『辮髪(べんぱつ)のシャーロック・ホームズ 神探福邇(しんたんフーアル)の事件簿』莫理斯(トレヴァー・モリス)舩山むつみ/訳 ★ 文藝春秋 2023.6.29読了 パスティーシュとは「作風の模倣」のことで、文学だけでなく芸術作品に多く用いられている。文学…

『くもをさがす』西加奈子|大切なのは自分の身体と心を愛おしく思うこと

『くもをさがす』西加奈子 河出書房新社 2023.6.26読了 『夜が明ける』が刊行された少しあと(私自身も読み終えたあと)に、NHKの「ニュースウォッチナイン」で西さんがインタビューを受けているのを観た。顔がちっちゃくてキュートで、なによりも芯が強いと…

『大江健三郎自選短篇』大江健三郎|人間の生きる目的とは。目指すところは「死」

『大江健三郎自選短篇』大江健三郎 岩波書店[岩波文庫] 2023.6.25読了 ポルトガル作家ジョゼ・サラマーゴさんが亡くなった時は国葬だったらしい。どうして大江健三郎さんが亡くなった時には国葬にはならなかったのだろう、とポル語訳者木下眞穂さんは思っ…

『忘却についての一般論』ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ|新鮮で楽しい、詩的で美しい

『忘却についての一般論』ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ 木下眞穂/訳 白水社[エクス・リブリス] 2023.6.20読了 アンゴラという国があることは知っていたが、それが何処にあるかも、どんな国なのかも意識したことがなかった。アフリカ大陸の南西部に…

『正欲』朝井リョウ|正しさ、多様性、居心地の良さ 不安と葛藤し生きていく

『正欲』朝井リョウ 新潮社[新潮文庫] 2023.6.19読了 自分にとっての「正しさ」とは何だろう。「正しい」といっても、それは全員にとってひとくくりに正しいということではないし、正しさが正解とも限らない。多数派が少数派よりも正しいというわけではな…

『HHhHープラハ、1942年』ローラン・ビネ|ビネ自身が主人公で、実況中継するかのよう

『HHhHープラハ、1942年』ローラン・ビネ 高橋啓/訳 東京創元社[創元文芸文庫] 2023.6.17読了 本屋大賞翻訳小説部門を受賞したというのが納得できるおもしろさだった。パラパラと頁をめくると、細かい文字がびっしりと埋められ(東京創元社の文庫だし…

『世界でいちばん透きとおった物語』杉井光|タイトルが意味するものは・・・!

『世界でいちばん透きとおった物語』杉井光 新潮社[新潮文庫nex] 2023.6.13読了 この段落だけは、この本を読む前に書いている。私は「透きとおった」という言葉に何かヒントがあるんじゃないかと思った。「透明な」でもなく、変換して出てくる「透き通った…

『パワー』ナオミ・オルダーマン|自分が強者になると、傲慢になり優位に立つようになる

『パワー』ナオミ・オルダーマン 安原和見/訳 河出書房新社[河出文庫] 2023.6.12読了 女性の身体に突然変化が生まれる。スケインと呼ばれる器官が突然生じて、指先から電流が流れるようになる。その電流を自由に操れるパワーが宿った女性たちが、男性より…

『街とその不確かな壁』村上春樹|自分だけのとっておきの幻想世界|読んだ人にしかわからない満足感

『街とその不確かな壁』村上春樹 ★★ 新潮社 2023.6.10読了 濡れたふくらはぎに濡れた草の葉が張り付き、緑色の素敵な句読点となっていた。 読み始めてすぐ、7行めに出てくる文章である。裸足で水の上を駆ける少女のふくらはぎが濡れてそこに葉っぱやらが引っ…

『サル化する社会』内田樹|専門分野は独立しているわけではなく全てに繋がっている

『サル化する社会』内田樹 文藝春秋[文春文庫] 2023.6.6読了 内田樹さんが「なんだかよくわからないまえがき」と題している前書きで、今の日本社会では「身のほどを知れ、分際をわきまえろ」という圧力が行き渡りすぎていると言っている。身の程を知れ、と…

『ペストの夜』オルハン・パムク|疫病と人類の戦い|空想画を描ける人は物語る力がある

『ペストの夜』上下 オルハン・パムク 宮下遼/訳 早川書房 2023.6.5読了 月曜日の深夜に『激レアさんを連れてきた。』というTV番組があって、その中で「架空の駅を1万個以降考えた人」が紹介されていた。その人は駅周辺の地図やらをプロかと見まごうほどの…

『モイラ』ジュリアン・グリーン|運命の女モイラ、そして青年たち

『モイラ』ジュリアン・グリーン 石井洋二郎/訳 岩波書店[岩波文庫] 2023.5.30読了 信仰心の篤い赤毛のジョセフは、ミセス・デアの家に下宿することになり、ここから大学に通う。このジョセフという主人公がまた独特の人物だ。極度の潔癖というか、真面目…

『はだしのゲン』中沢啓治|戦争のむごさを知るべき|どんな境遇にもめげない力強さと揺るぎない信念

『はだしのゲン』1〜10 中沢啓治 汐文社 2023.5.28読了 漫画を買うことも読むことも10年ぶり位だと思う。子供の頃はそれなりに読んでいたが、いつしか小説の方に偏向していまい今に至る(なんせあの『鬼滅の刃』すら1冊も読んでないのだ)。この『はだし…

『狼の幸せ』パオロ・コニェッティ|透き通ったビー玉みたいで、冬山なのにあたたかい小説

『狼の幸せ』パオロ・コニェッティ 飯田亮介/訳 早川書房 2023.5.26読了 フォンターナ・フレッダというイタリアンアルプスにある集落を舞台にした作品。山岳小説なのに最初は不思議とそんな感じがしなくて、小さな田舎町の出来事といった印象だった。しかし…

『蝉かえる』櫻田智也|昆虫好きなほのぼの名探偵

『蝉かえる』櫻田智也 東京創元社[創元推理文庫] 2023.5.24読了 最寄りではないが自宅から徒歩圏内にあるJRの駅近くに、食用の昆虫を販売している自動販売機がある。色々な虫の種類の缶があって、ひと缶千円から二千円ほどする。そもそも一体誰がこんなも…

『ひとりでカラカサさしてゆく』江國香織|ひとりで生きられるようにすること

『ひとりでカラカサさしてゆく』江國香織 新潮社 2023.5.23読了 高齢の男女3人がホテルの部屋で銃身自殺をした。衝撃的な場面から話は始まるのだが、読んでいる間はずっと穏やかである。亡くなった3人の謎よりも、彼らと繋がりのあった残された人が死に対し…

『同調者』アルベルト・モラヴィア|正常さを追い求めたその先には

『同調者』アルベルト・モラヴィア 関口英子/訳 ★★ 光文社[光文社古典新訳文庫] 2023.5.22読了 世の中には、生き物を虐めたり、人を痛めつけ殺すことに快感を持つ人が少なからず存在する。犯罪者の告白や犯罪学の本などを読むと、そういった性癖が実際に…

『マーメイド・オブ・ブラックコンチ』モニーク・ロフェイ|人魚はいずれ海に帰る?

『マーメイド・オブ・ブラックコンチ』モニーク・ロフェイ 岩瀬徳子/訳 左右社 2023.5.18読了 人魚姫というと、ディズニー映画『リトル・マーメイド』のアリエルを思い浮かべる人が多いだろう。私もそうだ。この作品に登場する遠い昔からやってきたアイカイ…

『村田エフェンディ滞土録』梨木香歩|トルコ人の気質、トルコ文化に触れる

『村田エフェンディ滞土録』梨木香歩 新潮社[新潮文庫] 2023.5.15読了 読み始めて何より驚いたのが、昨日まで読んでいた津村記久子さんの『水車小屋のネネ』でヨウム(オウムの一種)が半主役だったのに、この作品でもまたオウムが主要な登場人物(人物と…

『水車小屋のネネ』津村記久子|身の回りの人に寄り添うこと、親切にすること

『水車小屋のネネ』津村記久子 毎日新聞出版 2023.5.14読了 ネネというのは、ヨウムの名前。ヨウム?オウムじゃなくて?とほとんどの人が思うだろうが、「ヨ」ウムらしい。オウムの種類のひとつで尾羽が赤い灰色の鳥である。水車小屋では、川の流れる力を水…

『インスマスの影 クトゥルー神話傑作選』H・P・ラヴクラフト|形のないもの、言葉にできない恐ろしさ

『インスマスの影 クトゥルー神話傑作選』H・P・ラヴクラフト 南條竹則/訳 新潮社[新潮文庫] 2023.5.12読了 「クトゥルー神話」「ラヴクラフト」の単語はたまに目にするから、前から気になっていた。私はゲームをしないからわからないけどゲーム内にも結…

『フィフティ・ピープル』チョン・セラン|私たちと同じ普通の人の普通の暮らし|ひそかな司書になる

『フィフティ・ピープル』チョン・セラン 斎藤真理子/訳 ★ 亜紀書房 2023.5.10読了 タイトル通り、50人の人々が登場する作品である。目次を見てあれ?正確には51人なところがまた一興。一人一人にスポットが当てられ、一つ一つの章はほんの数ページだが、読…

『緋色の記憶』トマス・H・クック|緊迫感のある回想

『緋色の記憶』トマス・H・クック 鴻巣友季子/訳 ★ 早川書房[ハヤカワ・ミステリ文庫] 2023.5.7読了 なんだ、これは…。ざわざわした感覚でこの世界観に入り込み、最後の最後までこのスリルな文体に引き込まれた。著者トマス・H・クックの作品に対しては、…

『少年と犬』馳星周|新境地で直木賞を受賞

『少年と犬』馳星周 文藝春秋[文春文庫] 2023.5.3読了 犬が主役、そして人間と犬の絆を描いた作品である。動物の中でも犬は際立って人間との距離が近く寄り添うように買主に尽くす。忠犬ハチ公のイメージも強いのだろう。だからどうしてもお涙頂戴的なスト…

『ロマン』ウラジーミル・ソローキン|美的快楽である文学から生まれた

『ロマン』ウラジーミル・ソローキン 望月哲夫/訳 国書刊行会 2023.5.1読了 この本の佇まいからもう不穏な空気が漂っている。豊崎由美さんによる帯のコメントしかり。国書刊行会創業50周年の記念に新装版として堂々刊行された本だ。数年前から気になりすぎ…

『破果』ク・ビョンモ|強烈なインパクトを残す韓国発信文化

『破果』ク・ビョンモ 小山内園子/訳 岩波書店 2023.4.29読了 なかなか圧倒される文体である。一文もやや長めで、ひとつひとつの描写がとんでもなく細かく、豊富な比喩表現が多用されている。他人を見る観察眼が鋭い。著者のク・ビョンモさんは、文章に関し…

『モーリス』E・M・フォースター|美しく儚い純真無垢な愛

『モーリス』E・M・フォースター 光文社[光文社古典新訳文庫] 2023.4.26読了 先月読んだ『インドへの道』が思いのほか好みだったので、フォースターの代表作のひとつである『モーリス』を読んだ。当時の英国では同性愛は禁じられていたため、執筆した当時…