書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

◇小説

『フリアとシナリオライター』マリオ・バルガス=リョサ|大人が青春を懐かしみながら読むコメディタッチの物語

『フリアとシナリオライター』マリオ・バルガス=リョサ 野谷文昭/訳 ★ 河出書房新社[河出文庫] 2023.9.21読了 これがリョサの作品だとは思えないほどポップな青春ものだった。どうやら半自伝的小説とのことで、主人公の名もマリオ(リョサ自身)そのもの…

『未見坂』堀江敏幸|心が和みある種の懐かしさを感じる

『未見坂』堀江敏幸 新潮社[新潮文庫] 2023.9.18読了 ふとした時に読みたくなる作家の一人が堀江敏幸さんである。心が落ち着く時間、それだけをただ欲して堀江さんの奏でる小説世界に足を踏み入れる。 この本は『雪沼とその周辺』に連なる連作短編集であり…

『グレート・サークル』マギー・シプステッド|壮大な愛の物語

『グレート・サークル』マギー・シプステッド 北田絵里子/訳 ★ 早川書房 2023.9.16読了 飯嶋和一さんの作品に、江戸時代に初めて飛行機を飛ばした人を描いた『始祖鳥記』という小説がある。大空を自由のまま鳥のように飛びまわりたいという願い。この『グレ…

『失われたものたちの本』ジョン・コナリー|子どもの心に戻り夢中になれるファンタジー

『失われたものたちの本』ジョン・コナリー 田内志文/訳 ★★ 東京創元社[創元推理文庫] 2023.9.10読了 プラスチックゴミ削減のために、スーパーやコンビニのビニール袋が有料になってから結構経つが、最近は削減のためというよりも、節約しようという思い…

『湖の女たち』吉田修一|異質だと思っていたものがそうではなくなる

『湖の女たち』吉田修一 新潮社[新潮文庫] 2023.9.5読了 吉田修一さんの小説を読むのは久しぶりだったけれど、やはり文章もストーリーも淀みなく上手いなぁという印象だ。作品としては『悪人』や『怒り』には到底及ばないがさすがの筆致で読ませるものがあ…

『八月の御所グラウンド』万城目学|青春香る成長譚、大人にこそ読んでほしい

『八月の御所グラウンド』万城目学 文藝春秋 2023.9.3読了 まだまだ猛暑が続いているから9月に入ったとは到底思えない。今日は台風の影響で関東地方は比較的ひんやりとしている。本当は8月中に読もうとしていたのにうっかりしていた。万城目さん自身もきっと…

『恐るべき太陽』ミシェル・ビュッシ|騙された!を味わいたかった

『恐るべき太陽』ミシェル・ビュッシ 平岡敦/訳 集英社[集英社文庫] 2023.9.1読了 クリスティーへの挑戦作なんて帯に書かれていたら、クリスティー好き、英国ミステリ好きとしては放っておけなくなる(これはフランス人作家の作品だけれど)。表紙のイラ…

『魯肉飯のさえずり』温又柔|心が繋がっていれば、言葉が通じなくてもわかりあえる

『魯肉飯(ロバプン)のさえずり』温又柔(おん・ゆうじゅう) 中央公論新社[中公文庫] 2023.8.29読了 あれ、魯肉飯って「ルーロンハン」って読むんじゃなかったかな。日本には台湾料理店も多く魯肉飯は結構浸透していてルーロンハンで通ってる。「ロバプ…

『高熱隧道』吉村昭|自然の脅威、人間との確執

『高熱隧道』吉村昭 新潮社[新潮文庫] 2023.8.27読了 数年前に黒部・立山アルペンルートを含めて富山を旅行した。黒部ダムの勢いよく放出される水に圧倒された。なかでも、立山の景色の素晴らしさが本当に忘れがたく、なんなら日本で観光した景色で一番と…

『ゴリオ爺さん』オノレ・ド・バルザック|すべてが真実なのである

『ゴリオ爺さん』オノレ・ド・バルザック 中村佳子/訳 ★ 光文社[光文社古典新訳文庫] 2023.8.24読了 実は過去にこの作品を読んだとき、断念した経験がある。海外文学にまだ心酔していなく、訳された文章にまだ慣れていなかったこともあるかもしれない。確…

『新古事記』村田喜代子|戦争が行われていると同時に平和な場所もある

『新古事記』村田喜代子 講談社 2023.8.20読了 どうして『新古事記』なんだろう。『古事記』と関係があるのかしら。書店で気になり何気なく頁をパラパラすると、太平洋戦争の頃の話らしい。『古事記』とどう関わっているのか。最近『古事記転生』なる本がベ…

『野性の探偵たち』ロベルト・ボラーニョ|一つの作品で自分の思考が逆転するというなんとも稀有な読書体験

『野性の探偵たち』上下 ロベルト・ボラーニョ 楢原孝政・松本健二/訳 白水社[エクス・リブリス] 2023.8.19読了 はらわたリアリズムってなんのことだろう?内臓現実主義?どうやらこの小説のポイントになるのがはらわたリアリスト=前衛詩人のことである…

『猫と庄造と二人のおんな』谷崎潤一郎|猫に翻弄される人間たち

『猫と庄造と二人のおんな』谷崎潤一郎 新潮社[新潮文庫] 2023.8.13読了 昭和8年に『春琴抄』を書いた谷崎潤一郎さんは翌年にこの短編を刊行した。文庫本で150頁にも満たないこの小説はさらりと読み終えられるので、谷崎文学をこれから読もうとしている人…

『レイチェル』ダフネ・デュ・モーリア|愛する相手への疑惑を抱え続ける

『レイチェル』ダフネ・デュ・モーリア 務台夏子/訳 東京創元社[創元推理文庫] 2023.8.7読了 大好物の19世紀のイギリスを舞台としたゴシックロマンスミステリーである。刊行当時も絶大なる人気を誇ったダフネ・デュ・モーリア。私は過去に『レベッカ』を…

『見ること』ジョゼ・サラマーゴ|白票の意味するところは|賢明な言葉による豊穣さに心躍る

『見ること』ジョゼ・サラマーゴ 雨沢泰/訳 ★ 河出書房新社 2023.8.5読了 敬愛する作家の一人、ジョゼ・サラマーゴさんの小説が河出書房から新刊で刊行された。2004年に刊行された本書は、著者晩年81歳の時の作品で『白の闇』と対をなす物語となっている。 …

『武蔵野夫人』大岡昇平|武蔵野の雄大な自然と、登場人物の絶妙な心情の変化を読み解く

『武蔵野夫人』大岡昇平 新潮社[新潮文庫] 2023.8.2読了 武蔵野の雄大な風景が鮮やかに浮かび上がる。武蔵野とは、明確な定義はないものの、多摩川と荒川、埼玉を流れる入間川に囲まれ、東京と埼玉にまたがっている台地(日本地名研究所事務局長・菊地恒雄…

『木挽町のあだ討ち』永井紗耶子|完成された物語性

『木挽町のあだ討ち』永井紗耶子 新潮社 2023.7.31読了 胸のドン突きにあるもの。胸の奥深くの突き当たりにあって自分の意志じゃどうにもならないもの。これに反する気持ちを抱こうとしても、何かが喉に引っかかったような、もどかしい気持ちになりすっきり…

『灯台』P・D・ジェイムズ|孤島のミステリー、ダルグリッシュのロマンスもあり

『灯台』P・D・ジェイムズ 青木久惠/訳 早川書房[ハヤカワ・ポケット・ミステリ] 2023.7.30読了 今年に入って初めて、久しぶりのジェイムズ作品。この作品は、2005年に彼女がなんと85歳の時に刊行された小説だ。筆の衰えを全く感じさせない、濃密なミステ…

『ミチクサ先生』伊集院静|遠回りになろうとも、多くの経験は無駄にはならない

『ミチクサ先生』上下 伊集院静 講談社[講談社文庫] 2023.7.26読了 ミチクサ先生とは、国民的作家夏目漱石のこと。幼少期から、生家と養家を往来し、学校を何度も変わり、ミチクサをしてきた。ミチクサは、大人になってからも続いた。 勉学も生きることも…

『ティファニーで朝食を』トルーマン・カポーティ|お洒落で都会的、ポップなアメリカ文学

『ティファニーで朝食を』トルーマン・カポーティ 村上春樹/訳 新潮社[新潮文庫] 2023.7.23読了 ポップで爽快感のあるアメリカ文学を読みたくなった。村上春樹さんが訳したものを欲していたという理由もある。新潮文庫の100冊とか、今回のようなプレミア…

『それは誠』乗代雄介|青春まっさかり、バカバカしい笑いがたまらんのよね

『それは誠』乗代雄介 文藝春秋 2023.7.22読了 私は関東地方に住んでいるので、中学生のときは京都、高校生の時は北海道が修学旅行先だった。札幌も楽しかったけど圧倒的に記憶に残っているのは中学生の時の京都旅行だ。今でも連絡を取り合う仲の良い友達と…

『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ|心の声を聴くこと

『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ 中央公論新社[中公文庫] 2023.7.20読了 2021年の本屋大賞受賞作。気になりつつも読めていなかったが、文庫化されてさっそく手に取った。クジラの形をした栞がかわいい。「感動した」とか「泣きながら読んだ」と絶賛さ…

『ローラ・フェイとの最後の会話』トマス・H・クック|父親と息子の確執、記憶のたぐり寄せ

『ローラ・フェイとの最後の会話』トマス・H・クック 村松潔/訳 早川書房[ハヤカワ・ミステリ文庫] 2023.7.19読了 語り手のルークは、自身とその家族を悲しみの底に突き落とす原因となったローラ・フェイと再会しお酒を飲み交わすことになった。事件が起…

『事件』大岡昇平|公判を重ねるごとに形を変えていく

『事件』大岡昇平 東京創元社[創元推理文庫] 2023.7.14読了 法廷ものを久しぶりに読んだ。来月、WOWOWで椎名桔平さん主演のドラマが放映されるようで、この文庫本のカバーの上に、まるっとカバーがかけられている(全面広告カバーは好きでないので外して写…

『家族じまい』桜木紫乃|自ら終えることの清々しさ、潔さ

『家族じまい』桜木紫乃 ★ 集英社[集英社文庫] 2023.7.11読了 家族じまいーー 何気ない言葉だけれど「家族を終わらせる」ということだろうか。「じまい」には「仕舞い」「終い」のどちらの字も充てることができるが、両方とも「終わり」を表している。家族…

『ルクレツィアの肖像』マギー・オファーレル|スリリングで鳥肌ものの読書体験間違いなし

『ルクレツィアの肖像』マギー・オファーレル 小竹由美子/訳 ★ 新潮社[新潮クレスト・ブックス] 2023.7.9読了 ひとつの絵画と曰く付きのエピソードから、こんなにも豊かでスリルあふれる物語を生み出せるとは。数ページ読んだだけで虜になり、最後の頁ま…

『三の隣は五号室』長嶋有|人はただ生きているだけでも感動や共感を呼び起こす

『三の隣は五号室』長嶋有 中央公論新社[中公文庫] 2023.7.6読了 第一藤岡荘という古いアパートに住んだ多くの人々がいる。連作短篇集とはちょっと違って、部屋にあるもの(というか生活に欠かせないけれど脇役である何か)がバトンをつないでいくような感…

『時々、慈父になる。』島田雅彦|ミロクくんと一緒にお父さんも成長する

『時々、慈父になる。』島田雅彦 集英社 2023.7.5読了 3年ほど前に島田雅彦さんの自伝的小説『君が異端だった頃』を読んだ。自身のことを「君」として、いささか(というかかなり)自己愛・自信に満ちた語りが島田さんらしかった。今回の自伝的小説は一人息…

『無垢の時代』イーディス・ウォートン|人生において自由をどこまで追求するか

『無垢の時代』イーディス・ウォートン 河島弘美/訳 岩波書店[岩波文庫] 2023.7.3読了 アメリカの資本主義が急速な発達を遂げた1870年代、ニューヨークに新興富裕層が台頭し、新しい波が古い世界に押し寄せた、変化する時代の物語である。もともと新潮文…

『辮髪のシャーロック・ホームズ 神探福邇の事件簿』莫理斯|中国の歴史や文化、故事成語が興味深い

『辮髪(べんぱつ)のシャーロック・ホームズ 神探福邇(しんたんフーアル)の事件簿』莫理斯(トレヴァー・モリス)舩山むつみ/訳 ★ 文藝春秋 2023.6.29読了 パスティーシュとは「作風の模倣」のことで、文学だけでなく芸術作品に多く用いられている。文学…